人間は余白を持って生まれてくる
自分がはいる余地があるかどうか
私は最先端のものよりも昔から変わらないようなものの方が好きです。
プラスチックよりも木工品、鉄製品が好きですし、革製品なども好きです。
アウトドア製品や家電など機能が求められるものは致し方ないのですが、それ以外のものは長く使えるものが好きです。
ですのでデザインもシンプルな方が好きなのですが、長く使えば使うほど愛着が湧いてきます。
大切に使えば味わいが出てくるのでそれでまた手放せなくなります。
高機能のものは汎用性が低く、用途が限られています。つまり、使う人の能力に関わらず一定の機能が発揮されます。
それは完成されすぎて、私が入る余地がほとんどなく劣化していくだけのように思えてならないのです。
人間は余白だらけ
私たち人間は動物の中でもかなり適応力の高い動物です。
ですので生まれた時には他の動物に比べて、何もできません。
遺伝子的に一番人間に近いと言われるチンパンジーと比較すると、ヒトの赤ん坊の出生児の脳はチンパンジーのおよそ3倍もあるが、発達度は低いのです。
余白を残して生まれてくるのです。
それは生まれ育つ環境に適応するための余地で、それがあるために様々な地域で人間は繁栄できるのです。
それゆえに、脳が発達していく子どもの頃の環境というのは非常に重要です。
昔は自然と共存して暮らしていたので、ただ生活を行っているだけで様々な刺激が自然と入ってきていました。
地面は凸凹し、雨がふればぬかるみ平坦な場所は少なかったのです。これだけで足から入ってくる刺激、情報量はとても多かったのです。
夜になれば暗くなり、視覚情報が極端に落ちます。そこで他の感覚刺激が鋭敏になるのです。
冬になれば寒くなり、食べ物を獲得するのが困難になります。そしてそれを補うために脂肪を蓄えます。
このように環境による刺激が、余白に対して様々な書き込みを行ってくれるのです。
現在の環境はどうでしょうか。
視覚や聴覚による刺激が多くなり、からだを動かしたり感じたりすることが少なくなってきています。
夜は明るく、冬は暖房器具、夏は冷房器具によって快適な温度を保てるようになりました。
私達の身体は環境に適応します。
現代社会では昔自然に獲得していた能力が得られなくなり、失われていっているのです。
使わなければ失われる
失われた結果が様々な症状や痛み、機能障害です。
機能は「使わなければ失われる」のです。
足の裏からの感覚が入らなくなることで失われる機能は足に限ったことではありません。
それらの刺激は脳を活性化します。
つまり、足の機能が低下することは脳の機能を低下させるのです。
これは全身の機能で言えることです。
脳の機能が低下すると、筋肉のコントロールや内臓機能、自律神経、思考など様々なものに影響が出るのです。
ですので、現代社会では意識的に様々な刺激を受けるようにしなければ、現代社会に適応した身体というものができてしまいます。
失われたものはもともと得るはずだったもの
それは高機能な道具や環境が私の機能を変わってやってくれる代償として、私が得られるはずだった機能が失われるということです。
しかし、逆に言えば少し道具を減らすこと、便利を減らすことによって機能は回復していくのです。
それはもともと得るはずの機能だったので、身体に下地があるのです。
地球がもともとあって、その後人間が誕生しました。逆ではありません。
ですので、人間は地球の様々なものを利用して身体を維持するようにできています。
地球や自然を味わってあげれば、身体は最大限の能力を発揮してくれるでしょう。