言葉の弊害

 

会社やチームで何かを行う際は意識の共有が非常に重要になります。

それは一つのことに対して皆が協力する必要があるからで、これができていない場合目標は達成することはできません。

しかし、自分の体については意識の共有は必要ありません。

意識の共有には定義が必要であり、言葉が必要になってきます。

これらを使ってしまうと固定概念が生まれます。

固定概念が生まれるとその枠から外れることができなくなり、本来感じているものを無視してしまうことにまります。

意識というのは大脳皮質で生まれます。

そして、この意識というのは外の世界や体で起こっていることをありのままに表現しているわけではありません。

脳の処理が入り自分の解釈というフィルターを通して見ているのです。

フィルターがあるといらない情報として捨てられてしまうものや情報に勝手に意味をつけてしまったりするのです。

そのフィルターというのは、過去の体験であったり先入観で会ったり、人によって植えつけられた価値観であったりします。

つまり、フィルターとは過去の産物であり今を感じるためには必要がないのです。

そしてそれは自分に起こりうる未来の邪魔をします。

自分で足かせをつけているようなものです。

体が治ってきているのに気がつかない人がいます。

それはその部分だけにとらわれて、他の部分の変化を感じることができていないからです。

体の感覚というものは言葉で表せるほど単純ではありません。

だから無理に言葉で表さずに感じるままに感じてください。

そうすれば、より繊細に体を感じることができます。

もしくは、自分なりの表現を作ってください。

自分が感じているものは、自分しか感じることはできません。

共有する必要はないのです。

共有することで、感覚を狭めることになります。

言葉という枠を外せば感覚は無限に広がります。

正解は人の中にはありません。

自分の中にのみあります。

意識の共有をすべき時とそうでない時があるということです。

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濱口 貴洋D.C.
Doctor of Chiropractic Tokyo College of Chiropractic卒 カイロプラクティックは自然の法則に基づいた哲学、科学、芸術である。 カイロプラクティック独自の哲学を通じて考えてたこと感じたことを綴っていきます。
濱口 貴洋D.C.

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